外交は、お世辞を言葉を選んで言う。
素人には難しすぎてわからないが、見事なものだと思う。
相手国には、どのように翻訳されていくんだろうか。
韓国に対して、未来志向で、関係改善に努力などと、お互いに一致したと、よく報道されるが、、
これは不可能なことで、逆立ちしてもできないだろう。
もう、失笑するしかないが、こういわざるを得ないのだろう。
幼いころから、反日、優越、おとぎ話の教育をほどこして、さらに反日無罪だの、親日罪だのと、
とても友好を育む素地がないのに、不可能である。
しかも、日本に生活している在日の行動が日韓関係にさらなる悪化をもたらす。
テレビで、どうすれば関係改善ができるのか、と識者に問うたりするが、韓国の根底が前述の通りだから、
結局、なにをしても無理な話だろう。
お世辞に終始するしかないのが現実だ。
女系天皇を望んでいる民進党は、とても同じ日本人だとは思えない。
「朝までナマ・・・・」の田原さんが、女系を容認していたが、こんなに頭脳明晰な人が、女系の意味を知らない、なんてことはないだろう。
充分その意味を知ったうえで主張するのは、ほかに意図があるからだろう。
あるいは、単に、皇統連綿の継続がおもしろくないのだろう。
そう単なる言ってみれば嫉妬心だけだろう。
左翼の人の発想は、嫉妬心が垣間見えて、うんざりする。
そういえば、河野談話の河野さん。
この方、嫉妬心の塊で、主張していることは、屁みたいことばかりで、なんら価値がない。
十七条の憲法って、聖徳太子がつくった。
もっとも、聖徳太子は架空で、十七条の憲法も存在しない、と主張する学者もいるという。
現在もいるかどうか知らないけれど、嫉妬心丸出しの学説であろう。
インカ帝国には、
盗むな
殺すな
噓つくな
などと、戒めというか、国是というか、憲法というか、そんな言葉があった。
聖書にも、同じような神の言葉がある。
我々は、反射的に、「ああ、目に余るほどの社会環境だったのだな」と想像してしまう。
十七条の憲法には、そういった法律のような、殺すな、盗むななどとは、一切かかれていない。
もっと高尚というか、哲学的というか、そんな言葉が並んでいる。
「ああ、平和的な社会だったのだな」と思う。
あの当時、世界は隣と争い、内輪で戦い、そうしなければいきていけない厳しい環境の中で、
聖徳太子の時代には、こんな平和的、しかもかなり高尚なことが語られていたんだと、
あらためて思う。
思えば、1500年も前から、日本人はのんびりしていたんだと、思う。