積み重ねが大切なことは、経験的によく理解できる。
次代に繋げることの価値観が共有できないと、文明や文化、あるいは精神は発展しないだろう。
驚くことの一つに、古事記がある。
古事記の内容は、稗田阿礼が暗記していたというが、これが次代に繋げるための手段だろうと思う。
どうでもいいことなら、忘却の彼方だろう。
歴史でも、なにかの技術でも、なんでも、太古の日本人は積み重ねをしてきたのだろう。
積み重ねの大切さ、あるいはそれを共有する社会のありかた、など環境の整備があったことが推測できる。
そのおかげで、現代日本には、伝統、文化、習慣、目に見えない精神構造まで、伝えられているだろうと思う。
これは、考えてみれば、得難い宝物だろう。
インカ帝国は、文字を持たなかったという。
キープと呼ばれる紐を縛って、ある種の意味を伝えていたというが、現代に至るも解読はされていないし、
残されてるキープの現物も少ないらしい。
キープに保存できる量は少ないだろうと、想像はできるが、それがインカ帝国の限界だったかもしれない。
インカ帝国の、その前の遺跡からも、武器の遺物は出てこない、というか極端に少ないという。
それだけ争いごとが少なかったことが想像できる。
おそらく、インカ帝国は、社会自体は、かなり幸せな、平和的な環境だったろう。
遺跡からは、卓越した染色技術をもっていたことがわかる衣服や土器がでてくる。
博物館を巡れば、今でもその色鮮やかな衣服や土器を見ることができる。
これを千年も以上も伝えるのは、それなりの社会構造や、価値観があったと思われる。
アフリカやアマゾンには昔から変わらぬ生活をしている民族が存在する。
食物の取り方は、動物とさほど変わらず、何代経過しても同じだ。
いわば、自然の摂理とともに生きていることになる。
電化製品にあふれた人間には、もう戻れない社会だが、人間の本質を問えば、いいとか、わるいとか、善悪だとかは、
まるで言えない。
先進国の定義は知らないけれど、
電化製品に囲まれた社会なのか、水道をひねれば温水が出てくることなのか、民主主義社会なのか、自由な社会なのか、
理屈を言えば、わからない。
先進国の要素をあげてみれば、限りない。
先進国の国際会議があるが、それに参加するのは、ごくわずかだろう。
残念ながら、人間は、便利な生活や、それなりの裁判制度がある社会、公共のルールがある程度存在する社会から、
不便な生活、裁判のない社会、あってもお金でどうにでも判決が変わる裁判、治安不安、そんな社会には、戻れない。
ところが、
便利な生活ができる、安心な社会を構築するには、一朝一夕には、できない。
日本では2000年も必要だった。
これを大事にしないで、なにを大事にする価値があるんだろうかと思う。