このごろバイトが忙しくて、ブログもなかなか更新できないが、
脳みその退化を少しでも遅らせるように、頑張ろうと思う。
素人が書き続けるなんて、困難だがなんとかなるだろう。
稗田阿礼は暗唱していたというが、稗田阿礼に教えていたのは誰だったのか、と思う。
誰かが同じように記憶していたのだろうか。
昔のものは、次代に繋げるって、大切なことなんだなと思うが、
これって、伝えようって意思というか、価値というか、なにかなければ、伝えようがないだろうと思う。
この意味で、当時の列島人って、かなり思考能力が高ったと推測できる。
トランプ次期大統領のニュースが大量に流れてくる。
選挙運動中は、激しいことを発言していたが、サロンの話題というか、陰に隠れてこっそり会話する内容をそのまま大声で話したんだと思う。
普通に自分たちの習慣、ルール、流儀で生活をおくっている中に、
まるで違う習慣や文化で生活する人々が入ってい来れば、そうりゃあ文句も言いたくなるだろうと思う。
以前、ロスに住んでいた友人がこんなこと言っていた。
仕事は、事務職だったが、少々大きな建物で、集会ができるほどだったので、近所の人たちが、パーティーで使いたいというので、
気軽に貸していたそうだ。
白人系というか、典型的なアメリカ人の場合は、使用後、取り立てて文句を言うほどでもないが、
中南米出身者に貸すと、便所から壁から、なんでこんなところが汚れるんだというほど汚くなっているという。
結局、日常の些細な出来事で、イメージや先入観が形成されるわけだから、同じような感覚をもっているアメリカ人は多いだろうと想像できる。
ところが、現代社会では、こんなこというとすぐ差別だの卑下だのと騒がれるので、
黙っているが、どうかこっちの世界には来ないでくれって、感じなのだろうと思う。
一定数を超えると、そうも言ってられないって、ことだろうか。
この感覚は、日本も、お隣の国民に対するものとまるで同じではないかと思う。
精神、心の進化はなかなか進まないが、今日、世界から高い評価をされる日本の習慣、文化、社会生活のルールなどは、
稗田阿礼からの次代に繋げようという環境や思考が、たぶん、あったんだろうと思う。