どの国であっても、立派な人や、どうしようもない人がいる。
ただ、人間は同一視反応をするのが、普通で、
例えば、外国に到着して、空港でいきなり盗難にあったり、嫌な思いをすれば、その国全体の姿だと考えてしまう。
だから、「○○人は・・・・」という表現が自然と出てくる。
すると、かならず、「○○人だって・・・」と反論がある。
鬱陶しい、というのは厄介で、生活様式や、性格が違うだけで、生まれてくる感覚だ。
電車に乗ると、ときどき、広く席が空いているシートがある。座ろうと近寄ると、悪臭がして、ホームレスらしき人物が座っている。
傍に行くまで分からないが、何回か続くと、さすがに学習する。
以前、電車のシートに座る前に、レジ袋を敷いて、そこに座る人を目撃した。ああ、あの人は、ヒドイ目にあったことがあるんだなと、思った。
席が空いていても、このごろは、簡単には座らない習慣がついた。
鬱陶しい。
この頃は、議論というか、単に話すだけでも、「そんなこと言っていないのにな」って思うことがある。
強い意見でもなく、単なる見解であっても、それにすぐ反論したり、自説を述べたりする人がいるが、
面倒くさくなってしまう。これも鬱陶しい。
日本に、差別はないと、表現すると、真剣に反論してくる人がいるが、これも鬱陶しい。
日本は単一民族だというと、やはり、真剣に反論してくる人がいる。鬱陶しさの極みだ。
とはいえ、このあたりまでは、なんとなく言いすぎかなと思うが、
日本人は、周囲に気を遣う民族だよ、といえば、バカみたいに反論してくるひとがいる。
鬱陶しい。
ただ、人間は同一視反応をするのが、普通で、
例えば、外国に到着して、空港でいきなり盗難にあったり、嫌な思いをすれば、その国全体の姿だと考えてしまう。
だから、「○○人は・・・・」という表現が自然と出てくる。
すると、かならず、「○○人だって・・・」と反論がある。
鬱陶しい、というのは厄介で、生活様式や、性格が違うだけで、生まれてくる感覚だ。
電車に乗ると、ときどき、広く席が空いているシートがある。座ろうと近寄ると、悪臭がして、ホームレスらしき人物が座っている。
傍に行くまで分からないが、何回か続くと、さすがに学習する。
以前、電車のシートに座る前に、レジ袋を敷いて、そこに座る人を目撃した。ああ、あの人は、ヒドイ目にあったことがあるんだなと、思った。
席が空いていても、このごろは、簡単には座らない習慣がついた。
鬱陶しい。
この頃は、議論というか、単に話すだけでも、「そんなこと言っていないのにな」って思うことがある。
強い意見でもなく、単なる見解であっても、それにすぐ反論したり、自説を述べたりする人がいるが、
面倒くさくなってしまう。これも鬱陶しい。
日本に、差別はないと、表現すると、真剣に反論してくる人がいるが、これも鬱陶しい。
日本は単一民族だというと、やはり、真剣に反論してくる人がいる。鬱陶しさの極みだ。
とはいえ、このあたりまでは、なんとなく言いすぎかなと思うが、
日本人は、周囲に気を遣う民族だよ、といえば、バカみたいに反論してくるひとがいる。
鬱陶しい。