学問の訓練に欠けている、知識もそれほどない素人でもあるが、それでも素人なりに考えることがある。
平和ボケとは、かなり以前から指摘されているが、
日本での生活で平和ボケするのは至極当たり前の話で、戦争はないし、人が死ぬような領土争いもあるわけでもないし、
なんだかんだと、一般人の生活は「のんびり」したものだと思う。
北朝鮮が日本海にミサイルを撃っても、まるで実感がない。
チャイナが尖閣に来て、漁船を追いかけても同じで、日々の生活は、あれがうまいの、これはまずいのと、
穏やかなものだ。
北朝鮮による拉致事件も同じで、一般人には「気の毒」で終わってしまい、国が団結して、北朝鮮に文句を言い続けることもない。
同病相憐れむってうが、まさにそれだろう。
危機感は、実際体験というか、実感をともわないと、認識されないのだろうと思う。
危機感に限らず、おおかた、そんなもので、頭の中だけで考えたこと、観念の話は、ほぼ意味がない。
ところが、現代人は頭がいいので、この観念の話、議論、話し合いが得意で、論破しただの、されただのと、
どうでもいいことに執着している。
野党の国会質疑が観念だけだから、観念はどこまでも広がって、おとぎ話のごとく「疑惑」は深まったで、終わる。
世界には、証拠にも目をくれず、証拠があっても無視し、
自分たちに都合のいい話をつくって、世界に発信する国がある。
観念だけの世界で生きるのは苦しい だろうに。
平和ボケとは、かなり以前から指摘されているが、
日本での生活で平和ボケするのは至極当たり前の話で、戦争はないし、人が死ぬような領土争いもあるわけでもないし、
なんだかんだと、一般人の生活は「のんびり」したものだと思う。
北朝鮮が日本海にミサイルを撃っても、まるで実感がない。
チャイナが尖閣に来て、漁船を追いかけても同じで、日々の生活は、あれがうまいの、これはまずいのと、
穏やかなものだ。
北朝鮮による拉致事件も同じで、一般人には「気の毒」で終わってしまい、国が団結して、北朝鮮に文句を言い続けることもない。
同病相憐れむってうが、まさにそれだろう。
危機感は、実際体験というか、実感をともわないと、認識されないのだろうと思う。
危機感に限らず、おおかた、そんなもので、頭の中だけで考えたこと、観念の話は、ほぼ意味がない。
ところが、現代人は頭がいいので、この観念の話、議論、話し合いが得意で、論破しただの、されただのと、
どうでもいいことに執着している。
野党の国会質疑が観念だけだから、観念はどこまでも広がって、おとぎ話のごとく「疑惑」は深まったで、終わる。
世界には、証拠にも目をくれず、証拠があっても無視し、
自分たちに都合のいい話をつくって、世界に発信する国がある。
観念だけの世界で生きるのは苦しい だろうに。