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Channel: 虚空を観じて
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教養の条件

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恥ずかしいという感覚は、日本人の日本人たるゆえんで、

感謝と並んで教養の大部分を占めると思っている。

羞恥心と感謝のない教養は存在しないだろう。



よく視聴する動画は、右側系のものが多いが、自分は右でも左でもないと思っている。

右側系のほうが道理があると感じる。

左側も視聴するが、大学の先生や知識人が多いが、どうも話し方、表現の仕方に「僻み」を感じてしまう。

典型的には、テレビの報道番組のコメンテーターで、話し方は穏やかでも、内容は僻みに聞こえる。

一言でいえば、深みあるか、意味があるか、無いかの違いで、

左側の主張には、まるで意味がない。

そう感じる。



学生時代には左翼思想が「流行」した。

左翼系だというだけで、なんとなく頭がいいという印象をもっていた。

流行だから、大した意味もなく、ファッションと同レベルだった。

ヒッピーだの、ビートルズだの、フリーセックスだのと、単に出来上がっている体制に抵抗している、反発しているだけの、

つまらない話だ。

ヒッピーやフリーセックスの発祥はアメリだが、それなりの理由があって、それはキリスト教の影響のない日本では、

まるで意味をなさない、まさにファッションだった。



YouTube動画には、左側の人々の主張がよく取り上げられているが、

たとえば、日の丸をあしらったマスクや、その会社を批判する内容があった。

どうでもいいことに目くじら立てて、批判というより、批難や攻撃に近い印象をもつ。



学生時代のカッコウつけた浅い、意味のない主張を思い出す。

学生時代なら「若いから」で、終わるが、

それを、現代では、「いい大人」が、真顔でやっている。

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