元号は大切なものだと、素直に思うが、
なかにはどうしてもケチをつけたいとか、何か文句を言いたいとか、自分の知識を披露したいとか、
わいわいがやがやと、うるさかった。
政権に対する、野党や左側のコメンテーターとか、大学教授、知識人の反論は、
そのまま聞いていると、なるほどと思ってしまうが、ネットのお陰で、素人にもいろいろ知識がついて、
❓❓❔と思ことが度々になった。
最近では、ばかばかしくて、例えば、日曜朝の報道番組には興味を失った。
新聞は、もう何十年も読んだことがなかったが。
しかも、彼らの反論というか、主張は、人権、平等、弱者の味方、平和、などの言葉をちりばめて、
穏やかな口調で話すので、なかなか見抜けなかったが、
彼らの反論は、その根底には、妬み、僻み、嫉みが隠れていて、気が付けば、なんだ単なる嫉妬心じゃないかと、
自分の中では明確になった。
令和にたいする彼らの「言い分」は批判という高度なものではなく、
単なる妬み、僻み、嫉みであることがよくわかる典型的な例になった。
東大の先生の主張だとか、左側の国会議員の先生の言い分だとか、それを聞いて、なにかそうだなと、考えさせられるような
意見があったか、どうか考えてみればよく分かるだろう。
ただただ、日本に、日本の文化に、ケチをつけたいだけの発想なのだろう。