若いころ、年寄りから聞いた話だが、
この世の中は、生霊と死霊で出来上がっているという。
言葉は、恐ろしげだが、簡単に言えば人の「思い」ということだろう。
当時は、そんなものかと、意味は分からなかったが、自分が年を重ねるとなんとなく、言わんとする内容は理解できるようになった。
自分なりにいうと、
目に見える世界は、五感で「確認」できるから、何で出来上がっているか理解できる。それだけで安心してしまうが、
目に見えない世界は、確認できないので、「不安」がいつも付きまとっている。
目に見えないとは、あの世とか、お化けの世界だとか、そんな遠いものではなく、
単に人間の心の世界のことだろう。
確かに、死んだ人が残していった思いと、生きている人の羨望や嫉妬、あるいは感謝の心やお礼の気持ちなどが、この空間には満ちているだろう。
仮に見えたら、さぞかしすごいことになっているだろう。
それを確認することはできない。
朝鮮半島に日本はなにかとてつもなく悪事を働いたかのような印象を持たせる報道が多いが、
事実は、植民地ではなく併合というように、対等の関係だったのだろう。
まあ、逆恨みというか、想像を絶する嫉妬心というか、単なる集りの構造なのか、
韓国政府のやっていることは、だれにも利益をもたらさない愚かな反日政策だろう。
真剣に対処するようなことではないだろうから、日本は今日まで適当にあしらってきた代償なのか、
ますます酷くなっている。
残念ながら、韓国人や韓国の政府が言うことには、信頼が持てないことが、いまや日本人に知れ渡ってしまった。
特に歴史問題などは、ウソの塊で、ウソから作り話まで、何一つ信用できない。
学者、などといっても、同じで、馬鹿としか、いいようがない。
羞恥心は、日本人はけっこう持ち合わせている。
人の嫌味が理解できれば、恥を知っていることの証だろう。
ところが、昨今というか、だいぶ以前からか、テレビを見ていても、この人恥ずかしくないのか、と考えてしまう場面が結構ある。
関口さんの番組でのコメンテーターとか、
東京新聞の女性記者だとか、
大学の教授だとか、
よくまああ、恥ずかしくもなく言うなあと思う場面に出くわす。
なんというか、時代の流れなら、それもまたよしだが、日本人の美点が失われていくのは、
一種寂しさを覚える。