テレビによく出演する大学の女性教授、金さん。
次から次へと、とんでもない意見を述べるが、どこなく憎めない。
たぶん、金さん自身が言っていることに納得していないのではないかと、思う。
韓国に対して、いいこともしたとか、欧米列強がやった植民地支配とは違って、日本は逆に韓国の発展に莫大な資金をつぎ込んだとか、
やってあげたことを主張するより、韓国の立場に立って思いやりをもって接したらどうか、
と、こんな意見を主張した弁護士がいた。日本人ならよく理解できる考えだ。
この意見は、しかし、愚かな意見で、日本はずっとこの態度でやってきた。そう、ず~とだ。いまでもそうだ。
その結果が今なのだと思う。
百田さんの本に詳しいが、韓国に対する思いやりが前提になければ、こんなことはできないし、
当然、現代にいたるも、日本は思いやりの塊りだろう。
昔、ペルーに住んでいた。
朝、子供がチャイムを鳴らす。開けると、
「パンをくれ」
という。
断っても、問題は起こらない。むしろ、禍根を残さないために、断って関わり合いを絶つほうがいい。
日本人は、これができない。
つい、気の毒だと感じてしまう。パンなどは、激安で毎日でも、いくらでもあげることができる。
いいことをしたいと思うのか、気の毒だと思うのか、できる事ならしようと思うのか、日本人はパンをあげてしまう。
実は、「情けは人の為ならず」という言い方が機能する日本ならではで、
上げるほうも、貰う方も「日本人」ならこれが通じるが、ペルーではこうはいかない。
こうなると、子供は毎日毎朝くる。
そのたびに、ありがとう、ありがとう、を繰り返す。
とはいえ、さすがに一週間も続くと、鬱陶しくなり、
「今日はないよ」
と応じると、子供は途端に豹変し、
「汚ね~~、日本人」
と大声で叫ぶ。
この程度なら、まだ笑い話で済むが、普通の社会関係では、間違いなく「恨み」まで発展する。しかも、とてつもなく長い期間だ。
朴前大統領言った「1000年云々」は、彼の国では普通のことだろうと思う。
子供が来なくなるまで、気持ちを込めてあげることを続けるならいいが、
面倒くさくなったらやめる、なら、「罵詈雑言、恨み、非難」だけが残るから、最初からやらないことだ。
水に流す、これは外国には存在しない。
同じことは、ペルーに駐在したことのある日本人なら、だれもが似たような経験をする。
「情けは人ためならず」は、相手が日本人なら、他人に対する思いやりは巡り巡って自分にも返ってくるという意味だが、
相手がペルー人なら、相手のためを思うなら、最初から甘い顔をしないこと、が必要だろう。
この点に限って言えば、朝鮮半島の人々と、ペルー人はよく似ている。
海外からの労働者受け入れについて、
韓国から入れたら、何十年後、今と同じように、強制労働だとか、奴隷のように働かされたとか、不当な賃金だっとか、
訴えられるから駄目だという意見があったことを知った。
青山参議院は、少し笑って、肯定も否定もしかったが、そんなことはないだろうという表情を浮かべた印象を持った。
しかし、これは、砂糖に蜂蜜をかけたくらい甘いだろうと思う。