深刻さは、ある日突然事態の重さに気がつく事が多い。
見える人には見えるだろうが、多くの人には、「そうなるまで放置したのが悪い」
と声をあげるだろうが。
うまく言えないが、社会が変わっていく節目をみているような気がする。
昔だったら、マスコミを通してしか知りえなかったことが、ネットでどんどん配信されているし、
野党の議員さんたちが国会で質問する内容を見ても、単に隅っこをツツいて、瑕疵だけを追求し、
じゃあ、どうしたらいいんだという具体策はなんら示さず、
スポーツ界でも、やたらセクハラだの、パワハラだのと、報道される内容はバカみたいなことだし、
ホントかいな、と思ってしまう。
チャイナは、やたら尖閣諸島に出て、日本に迷惑を平気でかけているけれど、支援はそんなことには関係なくやたら求めてくるし、
韓国だって、なんでもケチをつけて、約束を守らないけれど、困れば助けてくれって、平気で言うし、
誠意とか、矜持とか、そんなことはどこかに行ってしまっている。
外国から労働者がたくさんにほんにくるけれど、移民が増えれば問題が出てくるし、取り返しのつかないことになろことは、
いまさら説明しなくとても、欧米の現実を見れば、それはだれもが理解できることを、やろうとしているのは、理解できない。
何か悪いことをして、強制帰国をしても、それを受け入れない国が存在することすら信じられない。
難民だって、他の国にとっては迷惑で、他国のケツ拭きをしているようなもので、
結局、難民を受け入れる国の市民が迷惑を被る。
混沌とした世の中になっていくような気がする。
そして、この流れは変わらないだろうが、徐々に進んでいくだろう。
その先にあるのは、また争うことだろうか。
昔、それほど昔でもないが、
平和主義者が戦争の原因になるって言った人がいたが、これは真実だろう。
ただ、当時の平和主義者は、本当に平和主義者で、他の人に思いやりを持った人々で、純粋に争いを忌み嫌う人々であったろうと、想像している。
現代の、人権を訴えるひとびと、やたら日本を非難する人々は、一見平和主義者に見えるが、
実は、昔の平和主義者とは異なることだけは、確かだろう。