左翼とか右翼とか、
それほど明確に線引きできるものではないような気がする。
思想的なことよりも、その時の都合によることが大半だろう。
共産党のようなわかりやすい思想もあるが、おおかたは、いいかげんだろうと
想像している。
挨拶は、やはり大切で、朝から元気な声であいさつされると、気持ちがいい。
どうも人間はそのようにできているようだ。
ところが、あいさつがきらいなのか、面倒くさいのか、あさってのほうを向いて過ぎ去る人がいる。
中には声が小さくて、わからない人もいる。苦手なんだろうか。
お互い様とか、袖触れ合うも他生の縁とか、普通のあいさつとか、どれもこれも社会生活、特に日本では、日常的な感覚だと思うが、
全体的に薄れてきたような、そんな感じがする。
安倍政権をヨシとしないマスコミの報道内容は、かなりヒドイらしい。
これも動画で知ったわけだが、ネットはありがたい。
「愚かなる大衆」とよく表現されるが、まさにその通りだった、と思う。
テレビ、新聞だけのニュースに依存していると、間違いなく「愚かなる大衆」になってしまう。
日本のように自由を謳歌できるのは、そうそうに世界にあるわけではないが、
それでも、大いなる権力、権威のマスコミに思考をコントロールされている事実に、いまさらながら驚愕する。
韓国の反日教育というか、優越教育というか、歴史のおとぎ話を、子供のころから勉強している国にあっては、
国民は反日、嫌日感情が、人生の魂胆として染着いてしまう。
この呪縛から解放されるのはちっとやそっとではできないだろう。
そりゃあ話し合いだの、共生だの、成立するわけがないし、親交を進展させるにはどうしたらいいのか、などというテーマははなから成立しない。
それを知っていてて、問いかけるのは、愚かだろう。
いつだったか、今後韓国とどう付き合えばいいのかという問いがあって、それに韓国に詳しい人が、
「付き合う必要性がまるでない」
と回答していたが、その通りだと思う。
断絶なんて意味ではないだろうが、できるだけかかわらないで、相手にしないで、ってことだろう。
この感覚は、同じ会社の中でも、自分が生きている周囲にもある。
生活の知恵ではないか。