ペルーにいたとき、熱心なクリスチャンがいた。
彼に、生きる上で何が一番大切か、と聞いてみた。
「神の愛です」
と当然のごとく答えた。
ペルーに行く前、注意されたのは、「政治の話と宗教の話」はしてはいけない、ということだった。
なるほどと、思う。
話し合いだとか、議論だとか、それが成立しないからだ。さらに、後味の悪さだけが残るし、下手すれば恨まれてしまうし、
変人扱いされてしまう。
しかし、よく考えてみれば、なにも宗教や政治だけの話でもなく、同じ日本人でも、話し合いなどできない人が周囲には存在する。
相手を論破しようとか、なんとか説得しようとか、そんなことは無理なことで、
声の小さいほうが、適当なところで「そうですね」で終わりになる。
よく、「聞く耳」がなければ、何を言っても無駄というが、全くその通りで、自分に置き換えてみればよく分かる。
それぞれの家庭には、なにか特有のにおいがある。
日々の習慣がもたらすニオイなのだろう。
ニオイが違えば、そりゃあ、毎日の生活の考え方もやり方も、異なるだろうと想像がつく。
違う者同士が、分かり合える、もっといえば、「許す」ことができるのは、困難なことだろう。
都市でもにおいが違う。
東京はどぶ臭いと感じる場所が時々ある。
お隣韓国の大統領の弾劾がきまった。
別段、日本が悩むことでもないだろうと思う。
話し合いなど、はなから成立しないのだから、お互いがどこに妥協点を見つけて、物事の約束をするか、
これが外交で、連続性が前提となっている。
ニオイは、鼻から上がいい。