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Channel: 虚空を観じて
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酔うこと

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40年ほど前だったか、「権威は?」と、問われ、

「マスコミ」と、応じた人が、何年か前に亡くなった。

当時は、その回答に「ふ~ん」で終わったが、今になると、その回答が身に染みる。

その人は、同時に活字に弱い人々って、指摘していた。確かになって思う。

活字になっていれば、信じてしまう習慣というか、くせというか、そんな時代だった。



オウムだとか、霊感商法だとか、宗教がらみは時に話題になるが、

宗教という言葉は、いつごろできたのか、知らないけれど、おそらく、外国語の翻訳で、哲学だの経済だのと同じ時代にうまれたのだろうと、想像している。

日本で宗教といえば、一神教も、ヒンズー教も、仏教も同じカテゴリーに入るだろうが、

おそらく、レリジョンは、一神教を指す概念で、仏教やヒンズー教、神道などは含まれないと思う。




レリジョンであっても、宗教であっても、あるいは共産主義やその亜流であっても、

共通しているのは、「教えに酔う」ことを要求される。

借金してまでも寄付する、先祖代々の仏壇を無くす、とんでもない値段のものを買う、あるいは殺人まで実行してしまう、

こういったことは、洗脳だとか言われるが、太古の昔から「酔う」ことを強制され、信じた結果だろう。




現代に、プラカードを掲げて、トボトボ行進するあのお年寄りたちが、大学生だったころ、

思想に「酔った」結果、愚かな行為を繰り返していた、

そう今では思える。



思想でも、何かの教えでも、今は、「酔う」ことより「覚醒」が求められる。

覚醒を促すのは、仏教だし、列島の民族が何千年にわたって積み上げてきた文化であろうと、思う。



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