ヘイトスピーチって、ヘイトを発する側には立てないが、
ヘイトされる側にも、それなりの理由が明らかに存在する。
ブラジルやペルー、パラグアイには日系人が多く住んでいる。
どの国でも、日系人は「ヘイト」の対象とはならず、尊敬の対象になっている。
もちろん否定的な見解もあるが、唾棄されるほどではない。
こういった事実は見逃せない。
もし、移住した日本人が、よく殺人事件をおこしたり、犯罪集団を結成したり、現地社会に否定的な存在、つまりその国の伝統や習慣文化などに従わず、権利だけを叫べば、
ブラジル人だって、ペルー人だって、そりゃあ、ヘイトするだろうと思う。
仏教に多少興味があるが、3000年近い歴史があるだろうか。
一神教はじめ、部族の神話の類や言い伝えには、世界や人間の始まりがあるが、
仏教は、それには触れない。
これだけで、仏教は現実主義だなと思う。
死んでからのことや、先祖の因縁などと、今の生活とのかかわりあいと程遠い感覚があるが、
実際には、今をどうするかに主眼が置かれているような気がする。
一神教の世界、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などが日本に、というか日本人にそれほど受容されなかったのは、
やはり神道というか、日本人の一種の宗教観の影響だろうか。
なんの本だったか、誰だったか、忘れたが、
江戸時代、宣教師が町人にキリスト教を説明したが、町人は、
「キリスト教で、俺は救済されるが、死んだ親父はどうなんだ?」
と質問する。
「そりゃあ、だめだ」
と宣教師は回答するが、
「なんだ、キリスト教は随分と心の狭い神様なんだな」
と言って、拒絶する。
宣教師は、これに懲りて、本国に日本での布教には、相当に勉強した宣教師が日本人には必要だとの書簡を本国に送っているという。
こんな話を読んだ記憶がある。
ちょっと笑ってしまう。
日本には職人気質というか、家業を何代にもわたって継ぐ文化というか、価値観がある。
そのため、椅子一つ、爪切り一つつくるのに、丹精込めるし、出来栄えに凝る。
これが技術力の源泉だろうと想像している。
しかし、この価値観は、大金持ちになるとか、より規模を大きくするとかの発想が抜けている。
それよりも一つの製品に価値観を見出し、その裏打ちとして食べていければという家族の大事さ、個人の人生があるように思う。
絶対観が昔から日本人にはなかったからだろうか。