自分が置かれた現実が見えないと聞いて、人は自らを失う。
なんて、思うが、
置かれた場合でも、自分で選択した場合でも、まず、今の現実を見据えることが大事だろうと思う。
それぞれの人種、民族、さらに男女など、はじめから違った存在は、違った存在として認識しないと、
始まらないだろうと思う。
それが、人間が置かれた現実だろう。
ペルーにある日本人学校で役員をやったことがある。
運動会があった。
その準備のために進出企業の奥さん方が集まって、いろいろ話し合いをした。
その中で、
「最近は運動会でも一着二着って、順番をつけない」
そんな意見を言った奥さんがいた。
これは初めて聞く意見で、驚いていろいろ聞いてみると、
もともと運動能力には格差がって、それに順位をつけるのは、本人の責任でもないし、よくないことだと、
そんな感じだった覚えがある。
今思えば、これが、最初に接したジェンダー意見だったなと、思う。
40年近く経過して、孫を保育園に迎えに行くと、
「○○さん、おじいちゃんが・・・・」
と呼んだ。
違和感を覚えた僕は先生に質問をした。
「なぜ○○さんって、呼ぶんですか?」
「はい、今はジェンダー思想でうるさいのです」
かつて、運動会で順位をつけないと聞いてから、
現在はここまで「侵食」されたんだと、感じた。
たぶん、その延長線上に、夫婦別姓があるんだろうな、そう思う。
少数意見を、舐めたり、バカにしたり、軽蔑したり、あるいは大切にしたり、
そんな軽い考えでいると、とんでもないことになるだろうと、感じた。
なんて、思うが、
置かれた場合でも、自分で選択した場合でも、まず、今の現実を見据えることが大事だろうと思う。
それぞれの人種、民族、さらに男女など、はじめから違った存在は、違った存在として認識しないと、
始まらないだろうと思う。
それが、人間が置かれた現実だろう。
ペルーにある日本人学校で役員をやったことがある。
運動会があった。
その準備のために進出企業の奥さん方が集まって、いろいろ話し合いをした。
その中で、
「最近は運動会でも一着二着って、順番をつけない」
そんな意見を言った奥さんがいた。
これは初めて聞く意見で、驚いていろいろ聞いてみると、
もともと運動能力には格差がって、それに順位をつけるのは、本人の責任でもないし、よくないことだと、
そんな感じだった覚えがある。
今思えば、これが、最初に接したジェンダー意見だったなと、思う。
40年近く経過して、孫を保育園に迎えに行くと、
「○○さん、おじいちゃんが・・・・」
と呼んだ。
違和感を覚えた僕は先生に質問をした。
「なぜ○○さんって、呼ぶんですか?」
「はい、今はジェンダー思想でうるさいのです」
かつて、運動会で順位をつけないと聞いてから、
現在はここまで「侵食」されたんだと、感じた。
たぶん、その延長線上に、夫婦別姓があるんだろうな、そう思う。
少数意見を、舐めたり、バカにしたり、軽蔑したり、あるいは大切にしたり、
そんな軽い考えでいると、とんでもないことになるだろうと、感じた。