ペルーにいたとき、
古老から
「昔、ペルーで暴動がおこると、日系人のお店が最初に襲われた」
特に、日本人は、カトリックとは無縁で、日曜日でもお店を開けていたから、襲う対象になったという。
外国に移民したのは、お店をやるためではなく、農業が目的だったが、
農業をする条件が酷くて、日本人はお店をもち、しかもペルー人が働かない日曜日にも働くから、
そりゃ、便利だから、日系人のお店は繁盛した、それも襲われる対象になったらしい。
そういった状態ではあったが、
フジモリさんが大統領になるほどの信頼を勝ち得るには、
想像を絶する努力を、一人じゃなく、日本人みんなで積み上げてきたんだろうと思う。
そりゃあ、なかには不埒な日本人もいただろうが、それを打ち消すほどの貢献をペルー社会にした結果だろう。
こういったことは、どこの国でも言えることで、
普通の社会生活をしている人間の普通の姿というか、事実だろう。
そこには、理屈などない。単に誠実に長い間、積み上げてきた事実のみだろう。
時々、ヒドイ事件や、大災害など、多くの犠牲者が発生した場合、
風化させてはイケない、とマスコミは言う。
とはいえ、人間は本質的に、忘れてしまうし、勉強しても、くりかえし取り上げても、せいぜい頭の片隅にしまっておくしかできない。
つまり、体験するまでは、分からないように人間はできているように思う。
悲惨な戦争であっても、災害であっても、未経験ならば、「その残酷さは分からない」のが人間なのだろうと思う。
知識があっても、勉強ができてもこれは変わらないだろう。
人間には、理屈などまるで関係ないことが多々ある。
安倍政権は、最長になるという。
安倍政権がいい、というより、対抗馬がいないからで、普通の国民は、「よりよい、より魅力のある政党」にはすぐ飛びつくだろう。
マスコミやお役人が常日頃「愚か・バカ」と考えている普通の国民、大衆は、あっというまに支持など変える。
ならば、安倍政権の最長を許すなら、それは単に「魅力ある対抗馬」あるいは「切望される政党」の不存在が大きな原因となるだろう。
政教分離の考え方は、素人には難しすぎるが、
先週の天皇陛下一代で一回きりの行事が、政教分離の原則に違反するのではないか、という。
政教分離の考え方はいつごろからできたものか、まったく知らないが、
天皇陛下の行事は、政教分離の原則より、はるか以前から存在するのは間違いないだろう。
ならば、現代の政教分離を、適用するのは、まったくの間違いではなかろうか、そう素人には思える。