一人では生きることができないのは、だれもが同じで、そこには裕福も貧乏もない。
こんなことは、誰もが理解していることで、当たり前のことだろう。
ならば難しいことはなく、一人では生きられないなら、そこには、まず、尊敬、感謝が必要だろう。
とはいえ、普通の社会生活ではそうはいかない。
なかなか、難しい。
よくテレビのコメンテーターが、批判だけして、なにかこうしたらいいという策でもあるのかと思うと、何もないことが多い。
政治の世界ではこれが多くて、ひたすら批判、ただただ批難、あげくはねつ造、などたくさんある。
素人は、あんなことして、恥ずかしくないのか、と思うことが度々ある。
野党も与党もなく、この点では、同じ穴の狢みたいなもので、
見つかった政治家が運が悪かっただけなのだろうと思う。
日本のことを本当に考えて、政治に向かっている侍は、それほど多くないかもしれない。
国民祭典を動画で見た。
日本人でよかったなあ、と感じる。
別に他の国と比べているわけでもなく、素直に思う。
日本人であっても、天皇陛下が存在することを「イヤ」だと思っている人、コメンテーターがいる。
知識人らしく、その理屈を述べているが、実に情けない理由で、例えば
今の民主主義に合わないだとか、男女同権だとか、あんな古風な即位式より民主主義にあった式にするべきだとか、
寒い理屈だった。
一生懸命知識人らしく、もっともらしいことを述べていると思っているか、寂しい理由だなと、思う。
概ね、こういった人々は、雨の中、その時だけ一条の光が差し込んだことを、奇跡だと感じた「感覚」を、
屁バカにしている。
これも、寒い、寂しい、悲しいセンスだなと、知識のない僕には思える。
どうでもいいことだけど、これでは、人生豊かにならないよ。