外は、台風19号で風雨が強くなっている。
自然とは喧嘩できないが、
いま、下を見ると可燃ごみの回収車がきている。
台風でもなんでも、やるべきことをやる、というのは日本は凄いなと、素直に思う。
日本は単一民族って表現すると、かならず、いや違う、太古の昔から、交流があったので、
単一民族とは言えない、と反論がある。
事実は、その通りだ。それでも、子供のころの周囲には、自分と同じ日本人しかいなかった。
その経験があるから、単一民族っていうのが、実感としてはより近い。
このごろは、有史以来だろう、様々な人種の人々、様々な言葉を話す人々が列島にいる。
思わず眉をしかめてしまう行動をする外国人がいる。意外と多いことに気が付く。
民度は総じて低いだろう。
どの国も民主主義だろうが、民主主義はそれなりの「民度」の高さを要求される。
例えば韓国は先進国の範疇に入るだろうが、
民度の高さでいえば、韓国には民主主義は機能しない。一つ確実な例を言えば、政権の連続性がない。
前の政権が結んだ条約なり約束は、どんなに不合理であっても、次の政権は「とりあえずは」踏襲しなければならない。
それをいきなり反故にするのは民主主義の本質から外れる。
ゴミを分別して出すのは、管理人の役割、仕事ではなく、
ゴミを出す人の役割だが、
なんでも可燃ごみで出す人がいる。
こんなところに、民度の低さがある。
小汚い服に見える、あるいはわざわざ膝頭を破ったパンツは、
アジア人や浅黒い外国人には、ファッションとしては似合わない。
ペルーに笑い話があるが、
ギリンゴ(ペルーでは白人を意味する)が、破れたジーン(デニムのパンツ)をはいてもファッションで通用するが、
ペルーでは、単なる貧乏人、というのがある。
あるいは、わざわざ裏返しに着ている洋服も同じで、「それなりの」人が着てはじめてファッションになるが、
小汚い人には、単に表が汚いから、としか見えない。
憎しみ、異常な嫉妬心、異常な妬み、僻み、ひたすら被害者を強調する、こういった異常な裏打ちの「感覚」は、
芸術にはならない。