戦争で、とにかく、日本国民を守ってくれた兵隊、先人。
かれらのお陰で今の日本があるのは、間違いない。
とすれば、我々、だれもがすることは「感謝」だろう。
そのうえで、言いたいことを言う、これが筋だろう、と思う。
学校の左側の教師が、自衛隊を批判したり、揶揄したりするのを、生徒が咎める話がでてくるが、
自衛隊に「感謝」できなくて、批判や非難は、なんら説得力をもたないだろう。
韓国人あるいは韓国と書くと、問題があるかもしれないので、今の韓国政権とするが、
昨今の韓国との交渉のやり方をテレビや動画で見ると、
息をするように嘘を発表するし、時系列に並べると、
あれ~~、そんなこと、とうの昔に言っているのに、と支離滅裂なことを発表することが多々ある。
今回のホワイト国から外したことに対する韓国大統領の発表は、
これまでの日韓のやりとりの前後関係が報道されているわけだから、しかも、双方なにを報道しているのか熟知しているにも関わらず、
見事に日本が一方的に攻撃をしている、いじめている、理不尽だなどと、主張し
大統領の支離滅裂感が、一層際立った。
あれでは、一国の大統領としては、「愚か」としか、印象を与えない。
息をするように嘘をつく、この表現を大学の、左側のある先生が、
「安倍総理は息を吐くように嘘をつく」
と、表現していた。
愛知県で開催されている芸術祭が 例の少女像が問題になっている。
「美術館から展示を拒否された作品を見てもらい、表現の自由について考えてもらう趣旨だった」
と述べているが、表現の自由より、「芸術」 とうたっている以上、
まず、展示された作品が芸術の域に達しているか否かを、吟味しなければならないだろうと思う。
ここで、芸術って何だろう、と考えてしまう。
普遍的な定義はおそらくないだろうから、結局は「個人レベルでの感性」ということになるだろう。
となると、津田さんって金髪の責任者は、あの少女像を芸術のレベルで鑑賞できると、評価していることになってしまうが、
想像だが、あの少女像を「芸術」だとする感性をもった日本人は、滅多にいないだろうと思う。
朝鮮半島の歴史、もっとも動画でしか知らないが、
文学にしろ、絵画にしろ、思想にしろ、芸術が生まれる「素地」がないと思う。
お金で苦労したら、そこからお金に対する考え方は二つに分かれると、おもう。
やはり、お金が一番大切だとするか、
いやいやお金ではない、とするか。
お金のない時代なら、食べ物になるだろうか。
お金は一番ではないが、
お金がなくて「穏やか」「しあわせ」「毅然」「立派」「謙虚」「感謝」「尊敬」
そういった感覚を感じる人は、少ない。
ここの間に、芸術に対する感性が育ってくるような気がする。