韓国人は「息をするように嘘をつく」と評した知識人がいるが、
韓国の主張を動画などで視聴すると、その通りだなと思う。
特に、韓国の要人が日本や、その他の外国との協議や話し合いがあったとき、
韓国内で発表する内容と、当該国とのそれとは、かなり異なるというか、まるで違うことが多い。
40年くらい長くメキシコに住んでいる知り合いがいる。
昔、彼から聞いた話だが、
道を訊ねると、メキシコ人は知らなくても、「教える」という。
知らないで、どうやって教えるのかな、と思うが、知らないままに、それらしく教えるという。
訊ねる人が、メキシコ人、応えるほうもメキシコ人なら、間違っていても「そんなものか」で終わるが、
そんな「習慣」「文化」など知らない人には、「嘘を教えやがって」と腹を立てるだろう。
ところが、メキシコ人には、それは「嘘」ではなく、メキシコ人の「気の遣い方」だという。
訊ねた相手を困らせてやろうなんて悪意の気持ちなどないから、メキシコ風の気の遣い方、でもいいかもしれないが、
それは、しかし、歪んだ気の遣い方だろう。
韓国人が息をするように嘘をつく、のは「文化」「習慣」だろうが、
メキシコタイプの気の遣い方ではないだろう。
そこには異常な嫉妬心や悪意を感じる。
生まれ先は選べない。
死ぬ時期も選択できない。
まあ、思い通りにならないのが、人間の生きる姿だろうと思う。
思いのままにならない現実が目の前にあるから、そこに「嘘」と「真実」の使い分けができたのだろう。
嘘の積み重ねは悲しすぎる、
真実だけの積み重ねはつらすぎる。