トランプ大統領の、
この国から出ていけ発言がニュースになったが、
学生時代に勉強した英語力でもトランプ大統領はそんなことは言っていない、と分かる。
アメリカが嫌なら、この国を出ていくこともできる、そんな意味あいだろう。
これが差別だと騒ぐほうが頭も精神も心もおかしい。
日本でも、似たようなことを言う人がいるが、
差別でもなんでもないだろう。
嫌なら、日本から出て、自分の気に入った国に移住する、その選択肢がある。
不平不満ばかりを主張し、
やたら差別だと喚いて、役所にたかって、
そんな生活では、「これでよかった」と思える人生はおくれないだろうと思う。
民のかまどの話は、よく聞く。
天皇陛下は、昔から民のことを思っていたことの証左だろうし、
少なくとも、この考え方の、つまり今でいう民主主義だの、平等だの、博愛だの、あるいは国を治めるリーダーの在り方、
その根幹に、民のかまどに価値を認めていたことには違いない。
自分たちの周囲におびえながら暮らした当時にあって、こんな考え方をする民族は、当時は、滅多になかったろうと思う。
そんな昔から、日本に住む人々は、平和であったのだと、想像がつく。
昔の知識人が、「うた」の前では、天皇陛下も一般平民もまったく平等であったと指摘している。
言われるまで、その驚異的な事実には気が付かない。
いわゆる、身分に違いはあっても、外国のそれとは違うように思う。
おそらく、日本に住む人々の価値観は当時から、世界とは違ってかなり「特殊」だったのだろう。
天皇陛下の御所には、塀なり、堀なり、外部からの攻撃を防ぐものが、当時から存在しなかった。
大陸からきた使者がその点に驚いたという。
テレビで、日本人を、あるいは日本を、今の政権を、批判非難する識者の方々がいるが、
こういった日本の歴史を冷静に見ると、どうも頓珍漢なことを嬉々として主張しているように思う。
政治家も同じで、共産党、立憲、社民などの左側の考えに凝り固まった人々の主張も同じ印象を持つ。
長い間、列島に住む人々が積み上げてきた価値だろう。