恥ずかしいと感じる感覚は、成長には欠かせないだろうと思う。
政治や経済のことは、素人には、一般国民にはそれほど分かることはないだろう。
なにも、政治や経済だけではなく、口入れるものから、医療関係まで、およそ日常生活をおくるうえでの、
判断する際の、知識、情報はテレビ、新聞しかないので、マスコミが「操作」すれば、いくらでも国民をコントロールできる。
現代のようなネット発達以前の社会では、マスコミの報道は日本一の「権威」だったのだから。
マスコミの「権威」は、それほど強大だったと思う。
マスコミは、北朝鮮や韓国、チャイナの側に立つ主張をする。
北朝鮮の、どこがいいんだろうか。独裁を認めないマスコミだろうに、不思議に思う。
拉致被害者を救出しようとする意思がまるで感じられない。
チャイナは、共産党独裁だ。単に、しかも要請を受けてチャイナの地質調査をした日本人が囚われている。
こういったことを、無視している。
そうであるにもかかわらず、マスコミの意思やねらいは、チャイナを支持するなんてことはないだろう。
韓国の愚かとしかいいようのない様々な日本への要求を、後押しする、なんてことも、ホントは本意ではないだろう。
北朝鮮を支持するのも、同じだろう。
全部、ホントの狙いはほかにあるだろう。
妬み、僻み、羨望、被害者意識、やきもち、こんな感情はだれにもあって、恥ずかしいことなんだけれど、
これらの嫉妬心を恥ずかしいと感じる感覚は、かなり高度な精神だろうと、思う。
聖書の影響を受けた民族は、総じて嫉妬心が強い。影響をまるで受けていない日本人には、だから想像を絶する。
韓国人の、例えば歴史に対する思いは、すべて異常とも思える嫉妬心のなせる業だろう。
歴史を作り上げ、しかも、それで自国民を教育しているのは、滑稽であり、悲しくもある。
元気があれば何でもできる、ではないが、恥ずかしいと感じなければ、なんでもできる。
嫉妬心は誰にもあるが、それを恥ずかしいと感じる感覚は、また別のことであることを知る。