外国人が増えれば、犯罪は増す。
特に、自国で反日を教育している国々の人々なら、なおさらだろう。
犯罪どころか、日本人が嫌う不衛生、汚れ、不秩序などは激しくなるだろうし、
これまで、日本人が「良い」としてきた気持ちは、だんだん否定され、
嫌な世の中になっていくだろう、とは想像がつく。
こういったものは、貧富の格差、目に見えない身分差別、「イケる」場所の有無などを
うんでいくだろう。
ペルーに、昔、行ったときさまざまな経験をした。
一言でいうと、日本人で「良い」とされている精神というか、常識というか、エチケットというか、
ことごとく否定された経験をした。
いろいろな人から注意を受けていたから、頭の中ではしっかりと分かっていたが、実際その場面に遭遇すると、
まるでダメだった。
このとき、「ああ、人間って、経験するまでははっきりと分からない」と思い知らされた。
誠意は通じるとか、ウソはついたらダメとか、正直が一番だとか、あいてに思いやるを持つ、約束は守る、などなどすべての「良い」が、
単に「相手から利用される徳目」みたいなものだった。
そうであっても、これらの徳目というか、精神を否定することはなかったが、
相手は自分と同じ常識をもってはいない、と言いきかせる術は身についた。
ニュースとして見聞する韓国政府というか、韓国人の言い分は、すべて、ペルーで経験したこととうり二つだ。
おそらく、ニュースとして聞くだけなら、「実感」は伴わないから、頭の中だけで理解するしかないので、
多くの日本人は「懲りる」ことはないだろうと想像している。
さんざんひどい目にあっても、ペルー人を嫌いになる気持ちは沸いては来ないのが、不思議だが、
ペルー人の「良い」ものは、お互いが信用しあって、初めて発揮される気持ちなんだと、知った。
周囲の生きる環境に合わせて、性質が大きな影響を受けてしまう。