18日からNYとペルーにいってくる。
久しぶりだから、楽しみにしている。
NYは寒いだろう。ペルーは真夏だ。
もっていく着るものが面倒くさい。
NYはよくできた町だなと思うが、発想は社会の上層部のそれだろう。
働く場所と日常をおくる場所が区別されている。
日本は、そんな差はない。
白人と日本人の違いだろう。
同じ地球に生きているのに、生活様式がまるで違う。
蛇口をひねればお湯が出てくるところと、水道すらない地域もある。
同じようには文明は行き渡らない。
自ら動いて文明を享受する国もあれば、ひたすらタカル事に精を出す国や、そんなことには興味も示さない国もある。
民族の移動があれば文化、生活様式の違いがあり、軋轢は自然と生まれる。
そこに差別だのヘイトだのといっても、せんないことだろう。
資本主義は金持ちと貧乏人をつくる。
金があれば上層部に属し、なければ下層になる。
バカみたいな話だが、現実だろう。
これはしかし資本主義ではなく、単なる金追及主義だろう。
知識人の議論は、かみ合わないと思う。
結局、自分の言いたいことを主張することになる。
日本が武装を高めることや、長距離ミサイルの導入だとか、こんなことは戦前の日本と同じで、
不安を感じると意見を言えば、
一方では、抑止力になると説明する。
聞いているほうは、なんだかわからない。
不安を感じるなら、どうすればいいのか、対策を言ってくれないと、素人にはわからない。
装備を高める側は、具体的で、わかりやすい。
ミサイルに攻撃型や防御型の区別が存在すのも、わかったようでわからない。
力なき言い分は、昔も今も効果はない。
慰安婦、などという言葉は昔からあったのか、戦争中だけの言葉なのか、わからないが、
売春婦の代わりに使用したものだろうとは、察しが付く。
その慰安婦を取材した日本の俳優が言っている。
カメラが回れば、泣き叫んで訴え、カメラがなければ、あはは、いひひと笑って談笑するという。
こんなタカリの構造は、韓国だけはなく、世界にある。
それが生きるための魂胆だったのだろう。
こんな話は、災害にあった住民の態度と同じだ。
同情を誘うパフォーマンスをする。
だから、日本の災害で、住民が毅然とした態度を見せ、世界は驚愕するのだろう。
ムン大統領が慰安婦と食事をして、また対処を約束するのは、
だから、笑えて来る。
同じ民族で、裏も表も百も承知で、やっていることだろう。
真面目にやるのが、そりゃあ、バカバカしくなるだろう。
こんなことに真面目に対応している日本も、疲れる話だ。