もう30年以上も前の話になるが、
ペルーに駐在員として赴任したころは、ペルーはひどいもので、とにかく高層ビルがなかった。
背の高いビルと言えば、シェラトンホテルくらいなものだった。
街並みは汚く、さらにきつい異様なニオイで満ちていた。
ニオイは、道路でやたらしている用足しと、大道商人が売っている油で揚げた食べ物のニオイが、混じり合ったもので、
決して慣れることはなった。
当時は、そのニオイと治安の悪い場所に東京銀行と、日系新聞のペルー新報社があって、日本からの送金はここを使っていたので、よくこの近辺に行っていた。
ペルーの全体的な治安は悪く、東京銀行の支店長もテロに狙われた。
テロ以上のものが、ドロボーで、およそ安全な場所などどこにもなかった。
赴任して半年ほどしたところで、空き巣の被害にあった。
日本人だからか、いくら危険だ危険だと、注意を受けていても、ドロボーから見えれば、隙だらけの生活だったのだろう。
ある日、車で、地上絵で有名なナスカまで行ったところ、帰宅したときは、我が家はもぬけの殻だった。
根こそぎという言葉があるが、洋服から着物まで、すべて持ち去られた。
おかしな話だが、封筒に入れ、テーブルの上に放置しておいた何千ドルだかのお金は無事だった。
一度ひどい目に遭うと、やっと覚醒するのか、それから極端に注意するようになった。
笑えない話だが、当時は、窓という窓には鉄格子がはまっていて、
ある日系人が、年老いた両親を家を残し、ドロボー対策で家に侵入できないようにして、外出をしたという。
ところが、家が火事になって、出るに出られず、気の毒にも両親は煙で亡くなってしまった、こんな話を聞いたことがある。
今回、ペルーに行く機会があって、
街並みは美しく、嫌な臭いはなく、道路を走る車は新しく、こじゃれたレストランや軽食屋はここかしこにあって、
素晴らしい市街になっていた。
毎朝、市の職員なのか、道路を掃き清めている。
高級ホテルも立ち並び、30年前と同じとはとても思えない。
町自体に活気があって、建築中のビルがたくさんあった。
友人の家のすぐ隣におおきなビルが建った。
工事は始まると、業者が来て、工事の影響で友人の家に影響を及ぼすからと、
家を全部無料で修繕してくれたという。
こんな粋な計らいに微笑んでしまった。
人間の生活空間は、時間とともに変化するものだと、あらためて感じた。
この変化は進歩とか、進化とか、より良くなるとか、そんな意味だが、
変化にはマイナスに変化する場合がある。
目に見える範囲も、目に見えない世界もマイナスには、変化してほしくないと思う。