多様性という言葉を以前からよく聞くようになった。
これって、たぶんまやかしだろう。
人間社会においては、これが成功し、機能している国など存在しない。
あの国で、教育費がタダになっと言えば、そっちに行き利用する。
医療費が少なくて済む、といえば目の色を変える。
国が孤立することは、ないだろう。
国が国民を思って、国民を守る。
こんな国は地球上には、多くない。
国民が国を思って、無意識であれ、平和に、安心して暮らせるよう、行動する国も、多くない。
昔、ブラジルに行ったとき、
ブラジルの閣僚の財産で、ブラジルの借金をチャラにできる、と聞いた。
それほど、私腹を肥やすことに熱心だ、ということだ。
ブラジルに限らず、南米は、というか、世界は似たようなものらしい。
表面的には、愛国心あふれる国民性だが、お金に関しては、個人的な利益が優先するらしい。
賄賂があまり効かないのは日本くらいで、しかも上層部、決定権や権利を有する層には賄賂は有効だが、
最先端の職員にはまるで効かない。
試しに、交通違反で捕まった時、10万の賄賂ならと思うかもしれないが、
賄賂をポリスに渡したら、どうなるか、経験するのもいいかもしれない。
おそらく、交通違反プラス、なにか罪がついてしまうだろう。
日本は変な国で、権限の多い上層部は賄賂に転ぶことがあるが、最先端の真面目な職員は、無理だろう。
世界は、上から下まで、賄賂が効く国のほうが多いだろ。
議員が献金を受けて、献金に見合う行動をすれば、本質的には賄賂と同じだろう。
よく、団体の支援をうけて当選し、その団体が有利になることに熱心になるのは、これも賄賂と本質は同じだろうと思う。
給料に100倍も200倍も格差をつけるのは、いくら資本主義、実力主義、そうであっても、首をかしげてしまう。
人間に、仕事に、それほどの差があるとは思えない。
トイレを清掃する人、あるいは先端で総務関係の仕事は目立たないが、「いなきゃ困る」仕事だ。
これなどは、失ってはならない自然な感覚だろう。
お金優先社会は、
丁寧な仕事より、より合理性を選択することになる。
それはつまらない社会になるだろうと思う。
だって、エチケットだの、道徳だの、他人に迷惑をかけないとか、嘘をつかないとか、
安心安全、安穏に暮らせるための要素は、ことごとく失われていくだろう、と容易に想像できるからだ。