相手の善意を考えて物事を進めるのは、日本だけとは言わないが、日本の大きな特徴だろうと思う。
ドンパチがありそうな気配になってきたが、どうなんだろうか。
素人にはわからない。
アメリカはジャイアンみたいなもので、本質的な理屈を言えば、北朝鮮を攻撃する理由が、ホントは明確ではない。
とはいえ、北朝鮮のようなほんまもんの独裁者が核兵器、生物兵器、化学兵器を自由にできるってことは、恐ろしい話だ。
日本は拉致被害者がいるから、北朝鮮を攻撃できる理由はあるだろうと思う。
本来は理屈は簡単であろう。
どうも、人間の歴史は、戦争の積み重ねで、今日の世界が出来上がっているので、国同士の決めごとや条約は、
争い、殺し合い、奪い合い、騙しあい、を前提としたものなっている。
しかも、それすらも時に、簡単に破棄されてしまう。
これでは、いくら言葉を尽くして決めても、「いざ有事」となれば、安心はできないのが道理だろう。
こんなことは、人間は長い歴史の中で、経験的に知ってしまっている。
要は、妄想であっても、誤解であっても、危険だとわかれば、先に叩くのが、世界的な常識だろう。
日本のように、なんでも善意を前提とした決まり事をつくるのは、世界には存在しないだろうとおもう。
日本の、対韓国や中国の外交も、この相手の善意を前提にしたもので、たびたび「こんなはずでは・・・」という思いをさせられてきたように思う。
相手の善意を考えられない思考は、悲しいことだが、悲しいと理解していても、それでも善意を信用できない資質はいかんともしがたいことだろう。
こういったことに敏感に反応して物事を主張する識者や議員もいるが、
彼らはたいてい、批判の的になってしまう。
この頃は、NHKでも取り上げないことが多くなってしまった。
今の日本には彼らのような感覚というか、感性というか、
必要な時代だと、思う。