無知は問題を大きくする。問題でないものを問題化する。
知らないことは、時に自分を苦しめる。
観念は本当に厄介で、際限なく広がっていく。
妄想は、観念で、自分で気が付かない限り、どこまでも続く。
最初は単なる心配事であっても、自らが妄想をもてば、心配事は巨大な問題になってしまう。
問題や心配事は、誰が大きくするものでもなく、自分が妄想で大きくしている。
言葉で書けば、こんなものだが、当事者になれば、それに気がつかない。
誰でも知っていることだが、知っていることと、それをうまく処理する知恵とは天地の開きがある。
人生は選択で決まる、と昔何かの本で読んだ。
些細なこと、たとえば●●便にするか、それとも●〇便にするか、この選択が生死を分ける。
コーヒーにするか、紅茶にするか、右か左か、生きることは一瞬一瞬が選択だ。
この積み重ねが生きることなんだろうと思う。
しかも選択できる候補は、たくさんあるわけではない。ごくわずかだ。その中から選択しなければならない。
問題が生じたとき、それを解決する候補策を選ばなければならない。
しかもおおかた候補策のなかで一つしか選択できない。
それによって、結果が変わる。
おそらく選択を意識できないのは、生まれ先と死ぬときだろうか。