結果は、次の出来事の原因になるが、そこにはさまざまな要素がからみついてくる。
一つの結果に、良いだの悪いだの評価しても、本当はどうなるかさっぱりわからない。
世の中にはいろいろな人がいる。
なんでもありの世界だ。
何でもありでも、犯罪に触れることはもちろんイケないことだし、道徳やエチケットに反することも、ほめられたことではない。
一応のルールがある。
とはいえ、犯罪すれすれとか、道徳だのエチケットだのは、いまでは一部の世界だけで通用することになってしまった。
これが今の日本の姿だろう。
日本は、世界的には珍しく、教養の高さとか、貧富の差とか、あるいは職業の違いだとか、そんな価値観のない社会で、
人間として、同じ土俵で存在し、関わり合いのある社会構造だ。
日本以外では、このようなことはなく、厳然とした差別意識がある。
ところが、残念なことに日本の良き文化も、薄れてきている、そんな実感を、時に感じる。
アメリカ型の経済の在り方や、外国からの労働者が増えるにつれ、それが顕著になりつつある。
本当の原因は、そこではなく、実は左翼系の教育の在り方が何十年にもわたって施されてきた結果だろうと、
ひそかに想像している。
体験するまでは、本当に解ることは少ない。
実際に感電するまでは、感電のなんたるかは頭の中だけのことだ。
昔からこういったことを戒める、教える言葉がある。
今回の台風直撃の際、静岡の山の上にいた。
夜中、風雨がきつかったが、翌朝は、きれいに晴れた。
夜中、下の海岸近くの市中には、避難勧告が出されていたが、それをまったく実感することはできなかった。
まるで、ほかの世界の出来事のようだった。
超がつく台風でも、いる場所で、こんなにも変わるのは、いくらでもあることで、
奇跡でもなければなんでもないことを知った。