だれでも、死ぬまで聖人君子を、できないが、それでも、ときどき聖人君子になれる時がある。
四六時中立派な人はできないが、時に立派な人にだってなれる。
一般的には、みんなそうだろうと思う。
よく言われることだが、日本人は正直、勤勉、真面目だというと、
日本人だって、ドロボーはいるし、怠け者だっている。こんな反論をする人がいる。
チャイナ人、アメリカ人は極めて残酷で酷い民族だといえば、日本人だってかなりひどいことやってきたという反論。
ペルーはドロボーの多い国で、
ペルーはドロボーが多くて、バッグなどはすぐひったくられるから、とみんな用心して街を歩くが、
日本では、そんなことはない。こんなこというと、すぐ、日本だってヒッタクリがあるという。
こういったことは、同一視反応で、だれもがすることだろう。
初めてきたアメリカの空港でドロボーにあって、被害にあえば
「アメリカ人は・・・」
と一般化して話すことになる。それと同じ反応ということになる。
マクロの話とミクロの話をごちゃまぜにすると、そうなる。
一度、あるキリスト教団体の「あつまり」に参加したことがある。
参加者は50人程度だった。
悪寒を覚えるほどの雰囲気で、前に立って話す人たちは、例外なく話し方が「おかしい」、そう感じた。
歴史上、もっとも人を殺してきた共産主義者ならんで、一神教も負けず劣らず人を殺してきている。
あの話し方には、それの「素」が、あるように感じた。
一神教の神様は、
人間、動物、森羅万象全部の秩序を作ったとされるが、
創造主は、自らが作ったその秩序の内側にいるのか、外側にいるのか、それをどう考えているのか知りたいと思った。
いかな神様でも、内側ならば秩序を制御できないし、自らも制御の影響を受けるから、それは違うような気がする。
神を信じる人たちは、神は自らが作った秩序の外側にいることになる。
本当は、こんな観念の話は際限なく広がって、なにがなんだか分からなくなるから、どうでもいいけど、
普通の人間なら、意識して他人を泣かすことあるし、知らないうちに傷つけることもあるし、
憎むことだってあるだろう。
逆に、他人に喜ばれる行為をしたり、支援したり、感謝されたり、
こうして、普通の人間は日々を生きていると思う。
神が内側にいようが、外側にいようが、この日々の現実は変わらない。
四六時中立派な人はできないが、時に立派な人にだってなれる。
一般的には、みんなそうだろうと思う。
よく言われることだが、日本人は正直、勤勉、真面目だというと、
日本人だって、ドロボーはいるし、怠け者だっている。こんな反論をする人がいる。
チャイナ人、アメリカ人は極めて残酷で酷い民族だといえば、日本人だってかなりひどいことやってきたという反論。
ペルーはドロボーの多い国で、
ペルーはドロボーが多くて、バッグなどはすぐひったくられるから、とみんな用心して街を歩くが、
日本では、そんなことはない。こんなこというと、すぐ、日本だってヒッタクリがあるという。
こういったことは、同一視反応で、だれもがすることだろう。
初めてきたアメリカの空港でドロボーにあって、被害にあえば
「アメリカ人は・・・」
と一般化して話すことになる。それと同じ反応ということになる。
マクロの話とミクロの話をごちゃまぜにすると、そうなる。
一度、あるキリスト教団体の「あつまり」に参加したことがある。
参加者は50人程度だった。
悪寒を覚えるほどの雰囲気で、前に立って話す人たちは、例外なく話し方が「おかしい」、そう感じた。
歴史上、もっとも人を殺してきた共産主義者ならんで、一神教も負けず劣らず人を殺してきている。
あの話し方には、それの「素」が、あるように感じた。
一神教の神様は、
人間、動物、森羅万象全部の秩序を作ったとされるが、
創造主は、自らが作ったその秩序の内側にいるのか、外側にいるのか、それをどう考えているのか知りたいと思った。
いかな神様でも、内側ならば秩序を制御できないし、自らも制御の影響を受けるから、それは違うような気がする。
神を信じる人たちは、神は自らが作った秩序の外側にいることになる。
本当は、こんな観念の話は際限なく広がって、なにがなんだか分からなくなるから、どうでもいいけど、
普通の人間なら、意識して他人を泣かすことあるし、知らないうちに傷つけることもあるし、
憎むことだってあるだろう。
逆に、他人に喜ばれる行為をしたり、支援したり、感謝されたり、
こうして、普通の人間は日々を生きていると思う。
神が内側にいようが、外側にいようが、この日々の現実は変わらない。