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Channel: 虚空を観じて
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暇がないのか

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仏様と、ひと言でいうが、実際には、仏様を表現する言い方はたくさんあるという。

素人の僕にはよくわからないが、

仏様の呼び方に「如来」があるが、これは、「このように来た人、またはこのように去った人」だと、そんな意味であると聞いたことがある。

このように来た人とか、去った人という言い方は、

ゴーギャンの畢生の大作である、「我々はどこからきて、何者で、どこにいくのか」って絵画を思い出させる。

星の王子様にも、キツネとの会話に、どこに行くんだろうか?って言葉がある。

聖書の中にも、あの方は、どこから来たのか、よく知っているって、そんな言葉がある。

このどこから来たのか、私は何者だ、どこに行くのか?ってのは、

おそらく、人類がものを考えるようになって、世界中で、みんなが悩んだ問の一つだろうと思う。

いまだに回答は出ていないが。



これだけ働いても生活がちっともよくならないのは、あいつが横取りするからだと、

フランス革命がおこったという。

現代は、働いても豊かにならないのは、あいつが悪いんだ、とは、恥ずかしくて言えない。

それを平気で、もっともらしく言うのは、左側の人たちだろうか。

北朝鮮などは、これだけ働いてもゆたかにならないのは、あいつのせいだ、とおそらく一般民衆は考えているだろうと思う。

だって、ぶくぶく太っているのは一人だけだし。



それにしても、自分の身近で、

こんな哲学的な、本質的な問いをした人は、いないが、

何年も前の人は、ずいぶんと哲学的なものを考えたんだなって、思う。

頭が、現代人よりはるかに良かったのか、あるいは人生は金だよ、金って、追いかけていなかったのか、

ちょっと不思議な気がする。


考えても答えの出ない問いを、世界の賢人か、哲学者か、思想家か、彼らが残した問に、

答える人は、お金を追いかけることに忙しくて、もういないのかもしれない。

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