声涙ともに下るって言葉があるが、年取ると、ちょっとした感動で涙が出てくる。
どうにもコントロールできないので、諦めている。
声涙は、激しい心、気持ちを落ち着かせる効果があるのか、穏やかになる。
以前、西友のネットスーパーでバイトしたことがあった。
商品を探していると、いきなり、「バカヤロー」とどなられた。そこには小汚い老人が立って、こちらを睨みつけていた。
年齢は分からないが、身体の動きがおぼつかないようだったので、おそらく70代後半くらいだったろうか。
こちらは店員だから、まず謝罪だから、丁寧に頭を下げたが、
「通路に立って、邪魔しやがって・・・・」
と、いつまでもグチグチ言っていた。
頭がおかしいのだろうと、勝手に考えてそのまま、謝罪し続けた。
周囲に責任を求める、しかも無意識に自分以外に責任を押し付けるのは、一種の生きるための文化、伝統だろうと思う。
民族的な特徴ともいえるだろう。
この傾向は、世界的な傾向だろうと思う。が、
特に、ペルーで生活していたころは、やたら言い訳や自分には責任がないこと、周囲を責めることに驚いたことがある。
現代で言うと、動画などで知ることができるが、韓国の上から下まで、政府からサッカーの選手まで、息をするように、
ウソと日本を責める攻撃性と、そっくりだ。
もう一つ、ウソと日本を責める攻撃性に、似ている集団というか、一群がある。
日本の左翼的な思考をする人々だ。
愛知トリエンナーレの「芸術作品」のなかで、天皇陛下の写真を燃やしたり、戦争で戦った先人を揶揄したり作品があったが、
あの思考は、そっくりな気がする。
立憲の議員が質問に立ったり、なにかコメントしたりすると、その言葉の端々に、
ひたすら自分には責任がなく、なにがなんでも政権に責任だという、なすりつけの魂胆と、
「バカヤロー」
と、怒鳴るあの老人の精神性を感じてしまう。
どうにもコントロールできないので、諦めている。
声涙は、激しい心、気持ちを落ち着かせる効果があるのか、穏やかになる。
以前、西友のネットスーパーでバイトしたことがあった。
商品を探していると、いきなり、「バカヤロー」とどなられた。そこには小汚い老人が立って、こちらを睨みつけていた。
年齢は分からないが、身体の動きがおぼつかないようだったので、おそらく70代後半くらいだったろうか。
こちらは店員だから、まず謝罪だから、丁寧に頭を下げたが、
「通路に立って、邪魔しやがって・・・・」
と、いつまでもグチグチ言っていた。
頭がおかしいのだろうと、勝手に考えてそのまま、謝罪し続けた。
周囲に責任を求める、しかも無意識に自分以外に責任を押し付けるのは、一種の生きるための文化、伝統だろうと思う。
民族的な特徴ともいえるだろう。
この傾向は、世界的な傾向だろうと思う。が、
特に、ペルーで生活していたころは、やたら言い訳や自分には責任がないこと、周囲を責めることに驚いたことがある。
現代で言うと、動画などで知ることができるが、韓国の上から下まで、政府からサッカーの選手まで、息をするように、
ウソと日本を責める攻撃性と、そっくりだ。
もう一つ、ウソと日本を責める攻撃性に、似ている集団というか、一群がある。
日本の左翼的な思考をする人々だ。
愛知トリエンナーレの「芸術作品」のなかで、天皇陛下の写真を燃やしたり、戦争で戦った先人を揶揄したり作品があったが、
あの思考は、そっくりな気がする。
立憲の議員が質問に立ったり、なにかコメントしたりすると、その言葉の端々に、
ひたすら自分には責任がなく、なにがなんでも政権に責任だという、なすりつけの魂胆と、
「バカヤロー」
と、怒鳴るあの老人の精神性を感じてしまう。