山本夏彦だったか、石を投げた方は忘れてしまうが、投げられた方はいつまでも覚えているって、言っていた。
お金も一緒で、借りた方は早くに忘れるが、貸した方は多寡に関係なく覚えている。
そしてこれは、民族に関係なく共通しているような気がする。
大なり小なり、この経験は誰もがしているだろう。
昔、たぶん今でも、災害のあった国に大量の寄付をおくって、
そして、寄付した側が、それを言うと、
「寄付させてあげたのだから、逆に感謝すべきだ」、 つまり、良いことをする機会を与えてやったのだ、と
と、返される。
少しでも、恩を忘れないことを言うと、怒りだす人がいる。
こういったことは、黙っていることが肝要だろう。しかも、一切の期待をしなことだろう。
ところが、期待しないだけなら、まだいいが、
寄付した側が黙っていようが、相手からの感謝を期待しないでおこうが、
寄付そのものにイチャモンなり、迷惑なり、なにかしら文句を言って、
より多くのものを取ろうとする、同じ人間とは思えない民族もいる。
いいことをしたことも、悪いことをされたことも、水に流してって、
これで終わればいいが、そうは簡単にはいかないから、
水に流して、こんな言葉が生まれたのかもしれない。
お金も一緒で、借りた方は早くに忘れるが、貸した方は多寡に関係なく覚えている。
そしてこれは、民族に関係なく共通しているような気がする。
大なり小なり、この経験は誰もがしているだろう。
昔、たぶん今でも、災害のあった国に大量の寄付をおくって、
そして、寄付した側が、それを言うと、
「寄付させてあげたのだから、逆に感謝すべきだ」、 つまり、良いことをする機会を与えてやったのだ、と
と、返される。
少しでも、恩を忘れないことを言うと、怒りだす人がいる。
こういったことは、黙っていることが肝要だろう。しかも、一切の期待をしなことだろう。
ところが、期待しないだけなら、まだいいが、
寄付した側が黙っていようが、相手からの感謝を期待しないでおこうが、
寄付そのものにイチャモンなり、迷惑なり、なにかしら文句を言って、
より多くのものを取ろうとする、同じ人間とは思えない民族もいる。
いいことをしたことも、悪いことをされたことも、水に流してって、
これで終わればいいが、そうは簡単にはいかないから、
水に流して、こんな言葉が生まれたのかもしれない。