孔子の言ったことは孔子が無くなって200年ほど経過してから書かれたという。
法華経も似たようなもので、釈尊が死んでから400年だか、500年してからまとめられたという。
となると、孔子も釈尊も最初に言ったわけで、そりゃ大変な人間だったとは思うが、
長い時間の後、正確かどうかかは分からないが、孔子が言ったこと、釈尊が言ったことを書いたというのは、弟子というか、後世の人間もすごいもんだなと思う。
森羅万象刻々と変化する、とは仏教の考え方というか、世の中の真理を言ったものだが、
頭でわかっていても、変わらないことを無意識に望んでしまう自分がいる。
年齢を重ねる事実からは逃れられないが、年は取りたくないものだと思う。
法華経の20番は、常不軽菩薩のことを書いているが、考えさせられる。
仏教が影も形もなくなる時代に常不軽という人が現れた。
話は変わるが、釈尊って、凄いなと思うのは、どんな素晴らしい教えであっても、廃れしまうという事実を言っている、素人にはそう思える。
廃れる内容は、形だけ残っている時代、形もなくなってしまう時代と、分けている。
素人が面白いと思うわけだから、頭脳明晰な学者やインテリには大変な魅力があるだろう。
常不軽は、仏教が残っていない時代に、あちこちの修行しているグループを訪れては、
「あなたを尊敬します。あなたはいつか仏の境地に達するであろう」
と、伝える。
この修行を続けて、寿命を迎えたとき、そこで法華経が聞こえてきたという話だが、
当時から、仏教に限らず、いろいろな教えがあって、様々なリーダーがいたであろうが、どんな教えであっても、
「あなたを尊敬します」
というのは、おそらく人間としての基本の姿勢を示唆している、そう素人には思える。