現代人から見れば、どこの地域でも人間の生存環境はおそらく想像を絶するだろうと思う。
隣との争いの繰り返しで、なおかつ、自然環境も過酷であったろう。
隣人の愛情などに、依存するというか、頼るというか、信じるなどということは、ないだろう。
そうなるためには、お互いの理解や信頼が必要で、短期間では醸成されない、人間としての訓練が必要だろう。
しかも、信頼は長い期間が要るが、失うのは一瞬でいいから、なおさらだろう。
インカ帝国の遺跡からは、人を殺すためのというか、戦い用の武器はそれほど出土しないと聞いた。
アイヌの遺跡や、縄文時代の遺跡も似たような感じで、武器が出てこないという。
争いを好まなかったからだろうとは、素人にも想像がつく。
誰が言ったか忘れてしまったが、日本人は人切包丁を、芸術の域にまで高めてしまったという。
これは、しかし、純粋に人を切るためだけの思想では、出てこない発想で、
日本人は捨てたものではないと、日本人の考えを示したものだ。
素人には、日本人は太古の昔から、争いは好まなかった人種というか、民族というか、そんな集まりではなかったかと思う。
日本の戦争時、日本人は国際法というか、人間としての在り方というか、かなり紳士的であったと、動画によく出ている。
とにかく、日本は侵略戦争で、しかも残虐で、酷い人種であった、そんな印象を強く抱かせる教育というか、
操作というか、かなり嫌なイメージが日本人自身にある。
自虐史観とよく言われる所以だろう。
従軍慰安婦20万人を強制連行し、虐殺したとか、30万人の南京虐殺をしたとか、かの国の人々は主張するけれど、
それは、自分たちの歴史のなかでやってきたことを、そのまま大音声で言っていることだと、
口にはしないが、多くの日本人は思っているだろうと思う。
日本人には、そんなことをする歴史的な積み重ねがない。
素人には、学問がそれほどない素人には、とうの昔に答えが出ている。