漫画ゴルゴ13にこんなセリフがあった。
「しゃべりすぎだ」
年老いた依頼者が話すシーンだが、ゴルゴが、それを聞いてこのように答えた。
年取ると、話し好きになるのか、やたら気の利いたことを言いたがるのか、愚痴が多くなるのか、教育テレビ的になりたいのか、分からないが、
自分が年寄りだといわれる年齢だから、注意はしている。
批判だけなら、それほど意味があるとは思えないが、一方、批判の一つもしたくなるのが普通の人だろう。
批判というか、愚痴というか、悪口でもいいが、
とにかく、自分以外に責任を求めるというか、責任を押し付けるというか、
こういったことをしないと、人間って、生きてはいけない、のではないかと思う。
批判を勧めるわけではないが、正常にというか、気持ちを落ち着かせるためには必要な気がする。
ただ、批判でも愚痴でも悪口でも、「言う相手」を選ぶのが大切だ。
これが分からないと、テレビ、ラジオ、新聞や雑誌などで公に自分の意見を主張することになるが、
批判だけなら、意味がないとされるし、おかしなことを言えばヘイト扱いされるし、
意見を開陳するのも、なかなか大変だと思う。
その意味では、左右のコメンテーターも「言葉一つ」で生きているわけだから、頭が下がる。
時々、YouTube動画で、左翼とされる知識人の主張を視聴するが、
どうも、いまいち、説得力に欠ける印象を持つ。
例えば、韓国との問題でも、原因に触れず、日本の対応を批判する。
それだけ聞いていると、日本は何やってんだとなるし、原因に触れても、日本だって落ち度があるとする。
いつでも、消化不良気味になる。
いつでも、僻んでいる印象だけが残る。