愛知の芸術祭で、例の像や、天皇陛下炎上作品を芸術だと、断定する意見はなく、
とにかく表現の自由だけに、焦点を当てている。
芸術は個人の見解だとする意見もあるが、この点はどうだろうか、疑問に思う。
おそらく、太古の昔から人間そのものは、変わっていないだろうと思う。
姿かたちの、見た目には変化があるかもしれないが、一人では生きてはいけない現実ならば、
自分が属する仲間たちとの争いは避け、仲良くしようとするだろうし、周囲もそれを勧めるだろう。
太古とは、いつごろからか、分からないけれど、少なくとも、あんな立派な遺跡を残した縄文の人々は、
協力し合って、自分たちの単位を守ってきただろうと思う。
一言でいえば、労働力を得るための方法論は、
敵方からではなく、自分たちの協力体制でまかなったのだろうと、想像している。
おそらく、和を乱すものは、嫉妬心、欲張りの気持ち、などだろうから、こういった考えや資質は否定されてきただろうと想像している。
インカ帝国には、「盗むな」「殺すな」とか、十戒に似た法律があった。
少し考えれば分かるが、盗む人、殺す人がたくさんいて、厄介だったのだろうと想像してしまう。
列島には、そんな「戒め」みたいなものはなく、おそらく、戒めを作るまでもなかったからだろうと思う。
人間がものを考えるようになってから、今日まで頑張っているが、
効果のほどは分からない。
世界にはたくさんの国があるが、G7と呼ばれる先進国がある。先進国の定義は分からないが、たったの7か国が先進国。
インカ帝国、アステカ、エジプト、メソポタミア、インダスなどは、当時は先進国であったろうに、現代では、その仲間にもなれない。
歴史家はその原因を分析できるだろうが、
素人には、結局は、国の中で、協力体制が組めるかどうかにあるだろうと思う。
学校では習わなかったが、
女性が文章を書いて、それを読む人々がいる時代の日本は、当時にあっては、世界的に見てもかなり「先進国」だったのだろうと思う。
割合は分からないが、字を読み書きできる国が、そんな昔にあった。
映画の時代劇を見ると、時々、瓦版や、御触れの立て看板が出てくる。それを読んでいるのは民衆で、不思議に思わなかったが、
あの時代、世界には、読み書きできる民衆が、たくさんいたのか、と思う。
協力体制は、ネガティブに向かえば、最悪だが、日本には、太古の昔から協力体制をはぐくんできたのだろうと、想像している。
素人なりに思うことだが、
日本には芸術が生まれる素地が、縄文時代からあったろうと、思う。
協力体制を組むのは、おそらくかなりの葛藤があるだろう。自分の自由を殺して、集団に合わせなければならないからだ。
この葛藤は哲学や芸術の基礎になった、のだろう。