誠意は通じる、なんて死語になるかもしれない。
日本は、よくまあ誠意をこれまでよく示してきたと思う。
誠意は、利用されるだけ利用されて、さらに利用される。
東京新聞の女性記者、官房長官への質問が面白い、というか、何度注意を受けても、同じことを繰り返している。
恥ずかしい、と感じないのだろうか。
大人として、というより日本人として、どこかずれている。
普通は、同じ失敗を繰り返せば、自己嫌悪なり、反省なり、なにかしら変化があるものだが、
彼女の場合は、より磨きがかかっているように思える。
磨きがかかると言えば、精神科医の香山さんにも、同じ感覚を覚える。
羞恥心だとか、恥ずかしいだとか、小島よしお並みに「下手こいた」なんて、絶対思わない世界に住んでいる人たちなのだろうか。
韓国の日本への要求とよく似ている、というかそれ以上の精神なのかもしれない。
ペルーに行ったとき、ペルー人について長年ペルーに住んでいる日系人に話を聞いた。
「一言でいって、ペルー人は恥ずかしいことを知らない」
と言っていたことを思い出す。
その後自分が生活をして、その通りだなと思った。
韓国人は息をするようにウソをつくと、韓国事情に詳しい人が述べていたが、
ペルー人も全く同じで、平気でウソをつく。
最初のころ、あまりにも平然と自然に嘘をいうので、ころころ騙された。
日本人の感覚だと、ウソがバレると多少なりとも態度に表れるものだが、ペルー人の場合は、全く気配も示さない。
これは一種の驚きで、同じ人間かと思うほどだった。
一部というか、大部分というか、野党の国会質疑も、どこか女性記者と全く同じで、
同じことを何度も繰り返している。
元アナウンサーの杉尾議員とか、本当におかしい。
普通は、恥ずかしくて通りを歩けなくなるほどの質問だが、なんか嬉々としている。
有田議員は、もっと腹黒さを感じる。
なんで、当選してくるんだろうか、不思議な現象だ。
フジモリさんが大統領に当選したとき、同じ間違いを繰り返さないために、その後、
大統領に立候補できる資格を厳しくした。
ブラジルなどは、人種のるつぼと評されるほど、様々な人々がいる。
ブラジル人ならだれでも大統領に立候補できるわけではなく、ブラジルでブラジル人として五代続いて生活しないと資格がないと聞いたことがある。
日本も、移民をたくさん受け入れるなら、
まず、反日国、韓国やチャイナからの移民を制限し、できるだけ親日国からの移民を受け入れてもらいたいと思う。
そうしなければ、
今のままだと、多くの識者が指摘するように、地方自治体は簡単に自由にできてしまうだろう。
なにより、国会議員や大臣になる資格に縛りをかけないと、大変な事態になるだろう。