ペルーにはいろいろな思い出がある。
アンデス地方でインカ帝国時代に使われていたケチュア語は音が日本語とよく似ているという。
一度、日本語で話をしていると、ケチュア語を話せるペルー人が、
「ケチュア語」に音がよく似ていると言っていたことを思い出す。
友人が、
「チチカカ湖」は、チチは父、カカは母の意味だと言っていたが、それならまるで日本語だなと思ったがあった。
リマに「天野博物館」がある。
昔、天野さんという人が自らの研究を博物館に仕立て上げた。
最近はどうか知らないけれど、昔は入場料をとらなかった。
それは、天野さんの考えで、入場料をとれば不特定多数の人が入館するから、だという。
だから、入館者やペルーに進出した企業の寄付で成り立っていた。
伝え漏れ聞くところによると天野さんは博覧強記で、人々を驚かせたという。
ペルーの日系人は、よく勲章をもらっていた。
天野さんもその候補によく上がっていたが、勲章や文化勲章などかたくなに断っていたという。
拒絶の理由は分からない。
天野さんが懇意にしていた福田農園の福田さんに、昔話を聞いたことがあるが、推測で話しくれたことがある。
その推測は、おそらく当たっているだろうと思うが、ここでは書けない。
ノーベル賞を授与される日本人が多いのは、一般国民としては、自分のことのようにうれしいものだと思う。
特に研究分野のそれは、本当に実績があったからで、なおさらだ。
中には、
ノーベル賞を有難がるのは、やめたほうがいい、とツイートした脳科学者がいる。
脳科学者の先生がそう言ったという、動画を見た。
主張の根拠が不明なので、
普通に素直に、素晴らしいことだと思えない感覚は、引いてしまう。
そういえば、ノーベル賞はいいが、勲章は、戦後民主主義の徒としてはいらない、といった作家もいたなあと思う。
素人には想像もできない素晴らしい作家だろうけど、この理由を聞いて、俗物すぎてがっかりした。
作品自体は本人の人間性や思想から離れて、純粋に評価すべきだろうけど、
普通の素人には、なんだかなあ、で終わる。