虎ノ門ニュースが面白い。
解説者というか、出演者というか、ニュースを分析する知識人の日本語の使い方もごく自然でいい。
百田さんは、時に、「人間のクズ」って、表現する。
この表現は、
バカとか、間抜けとか、愚かとか、そんな言い方よりも、はるかにきつい感じがするが、
沖縄での講演会の際、取材に来た沖縄の新聞社の記者とのインタビュー後、
百田さんは、感想で「その記者を「人間のクズ」と言った。
思想や考え方において、その新聞社と百田さんの間には、埋めがたい溝があるが、
百田さんは懇切丁寧に説明をしていた。
記者は頑なに、病的に単に百田さんの主張を否定するだけで、なんら、まともな反論は行わなかった。というより、まるで反論などできないだろう。
記者は、百田さんの人間性まで否定していた、そんな印象だった。
こんな記者が書き連ねた記事を読まされる県民も、気の毒としか言いようがないが、
県民はおそらく、目も通さないかもしれない。
日本人でありながら、日本を嫌う人々がいる。
それが、帰化した人であれ、日本人であれ、代を重ねた在日であれ、
国歌を歌わないほど、日本を忌み嫌っている人々がいる。
教育者の中には、とにかく、日本はヒドイから、日本のすべてを否定するようなことばかり言っている先生がいるという。
信じられないことに、国会の中にもたくさんいる。
しかも、その大嫌いな日本を棄てずに、甘んじて日本に暮らしている。
こんな人生って、生き方って、一瞬でも幸福感を実感できるだろうか、と疑問を持ってしまう。
まだ身体が思うように動くうちは、どこにでも行けるからいいが、
人手を必要とする時期、あるいは寿命を迎えるとき、どんな精神状態でいるんだろうか、自分の人生これでよかったと思えるかどうか、
と、他人事ながら思ってしまう。
昔、活躍した共産党の不破さんっていう人、いまでも影響力があるのか知らないけれど、
豪邸に住んでいるという。
共産主義には詳しくないが、
共産主義がもっとも忌み嫌う方法、豪邸を手に入れる資金や維持費は、多くの人々から「搾取」したものではないのか。
なんだ、共産主義とは言え、資本主義の権化のような実態があるんだなと、おもう。
それで、幸福感を感じることができれば、いい人生なのかもしれないが、
どんな立派だと思われる思想でも、単なる金もうけの道具なのか、とあらためて思う。