恥ずかしいという感覚は、周囲というか、自分以外を大事にしない気持ちからは生まれないだろう。
日本語には、あいさつされれば、
「おかげさまで・・・」
というが、何のお陰かはわからないが、自分以外を指しているのはよく理解できる。
「・・・せいで」
という表現もあるが、こちらは自分が被害を受けたときに使う。
これを頻繁に使うのが隣国だ。
昔、ペルーの日系人から、聞いたことだが、
「ペルー人は、恥を知らないのが一番の欠点だ」
と言っていた。
その後ペルーの生活に慣れると、確かにその通りだと思う。
恥ずかしい行為を、平気でする場面によく遭遇した。
民度と言えば民度になるかもしれないが、どうも民度とは関係はなく、生きるための魂胆のような感覚だろう。
その源は、周囲を尊敬する気持ちがないことだろう。
そんなことを考えていたら、生きてはいけない環境だったのだろう。
政治家って、ホント凄いなあと思う。
羞恥心の持ち方が普通とは、やはり違うなと思う。
暴言で有名になった議員さんとか、密会を報じられた議員さんとか、
本当は、恥ずかしくて仕方なかろうに、と思うが、そんな素振りを会見でも示さない。
おそらく、想像だが、そういった世界に生きてきたんだろうと思う。
周囲を尊敬する気持ちに欠けている、そう感じた。
この点では、世界水準になっているかもしれない。
おかげさまで、この文化も失われていくかもしれない。