年齢を重ね、七十も過ぎれば、とりとめもなく、死にまつわることを考える。
今朝は、ペルーの友人とズームで話したが、
今世の人生で、いいこと悪いこと、やったことで、「あの世」の行き先が決まるのか、とか
だいたい「あの世」はあるのか、とか
どうでもいいことを話し合ったが、
お互い死んだことがないので、結局は観念論というか、どこかの本の話とか、YouTubeにたくさんある不思議な体験とか、
死後の世界から帰ってきた話だとか、
面白かった。
結論は、あの世があってもなくても、死んでから考えても遅くはないだろうということになった。
ただ、自分の膚感覚というか、思いこみというか、なんとなくというか、
どうも、死んだあと、何かしらの世界があるだろうとは、思う。
太古の昔、世界には死んだ後の世界や、生まれ変わりのことや、当時の人々も悩んだことだろうし、
おそらく、不可思議な体験などもたくさんの人々がしただろうと思う。
そして、当時の人々のほうが、感というか、感覚というか、そういった目に見えない世界については、
たぶん、彼らのほうが鋭い感覚を持っていただろうと思う。
で、この世界でやったことによって、あの世のことが決まることがあるのか、ないのか、それはさっぱり分からないが、
真面目に生き、人のために尽くし、亡くなった人々と、ロクでもない人間と同じにされては、やってられないな、
そう思う。
今朝は、ペルーの友人とズームで話したが、
今世の人生で、いいこと悪いこと、やったことで、「あの世」の行き先が決まるのか、とか
だいたい「あの世」はあるのか、とか
どうでもいいことを話し合ったが、
お互い死んだことがないので、結局は観念論というか、どこかの本の話とか、YouTubeにたくさんある不思議な体験とか、
死後の世界から帰ってきた話だとか、
面白かった。
結論は、あの世があってもなくても、死んでから考えても遅くはないだろうということになった。
ただ、自分の膚感覚というか、思いこみというか、なんとなくというか、
どうも、死んだあと、何かしらの世界があるだろうとは、思う。
太古の昔、世界には死んだ後の世界や、生まれ変わりのことや、当時の人々も悩んだことだろうし、
おそらく、不可思議な体験などもたくさんの人々がしただろうと思う。
そして、当時の人々のほうが、感というか、感覚というか、そういった目に見えない世界については、
たぶん、彼らのほうが鋭い感覚を持っていただろうと思う。
で、この世界でやったことによって、あの世のことが決まることがあるのか、ないのか、それはさっぱり分からないが、
真面目に生き、人のために尽くし、亡くなった人々と、ロクでもない人間と同じにされては、やってられないな、
そう思う。