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Channel: 虚空を観じて
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何が悲しくて

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みんながすでに、体験的にも、知識的にも、よーく知っていることだが、

多文化共生、なんて言葉が独り歩きし、いかにも隣人愛に満ちた「いいこと」のようなイメージがあるが、

じつはそんなに甘いものではない。

多文化共生しているアメリカやヨーロッパの先進国は、どの国も、

多文化共生によるメリットであふれている、なんてことなく、

差別、貧富の格差、就ける仕事、職業による貴賤、教育の格差など、さまざまな問題で苦しんでいる。



アメリカの黒人奴隷の歴史、オーストラリアのゲームのような原住民殺害の歴史、あるいは宗教戦争や、略奪などは

昔のことだ、過ぎ去ったことだ、とそれで済むほど簡単なことではない、そう素人なりに思う。

因果応報という言葉があるが、これが正しいことか、真実なのかわからないが、

これは、多かれ少なかれ、誰もが経験することだろう。


多文化共生が、平和に仲睦まじく双方メリットだらけ、なんてことにはならないのは、

既に歴史が証明している。

日常の些細な出来事、つばをやたら吐く、大声でしゃべる、すぐ権利の主張をする、やたら差別だと騒ぐ、

夜夜中に騒ぐのは文化だというのは、対立や怨念を生む。

同じことを繰り返すのは愚かだし、双方ともに残酷な事態を招くことは目に見えている。



平和に、穏やかに、双方敬意を持つ、話し合いが成立する、双方にメリットがある

そんな多文化共生は、あり得ないし、

あるのは、一方に忍耐を、我慢を、損する、あるいは憎しみを、育成することだけだろう。


何が悲しくて、そんな社会、そんな国になることを求めるのだろうか、

素人には全くわからない。




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